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近な自然として価値の高い里山ほど、開発の危険性がもっとも高く、その保全が緊急を要する理由もそこにある。
しかし、私たちは、里山の主体をなす雑木林にのみ関心を示すだけでよいのだろうか。かつての里山は孤立して存在していたのではなく、集落、農地、水系などと渾然と一体化して農の生態系が成立していたのである。はからずも、今回のシンポジウムの案内ちらしにも、そのような風景が描かれているではないのか。私たちは、里山をふるさと風景の中心的シンボルとして、これからの里山像を描く必要があろう。
以上のような考えを前提にしながら、保全施策の方向について、若干の提言をしてみよう。どこにでもある、したがって、ありふれた里山は、自然公園からも、都市公園からもアプローチされることがきわめて少なく、両者の峡間に置かれつづけてきた。そこで、地域制型の自然公園と営造物型の都市公園の両制度をドッキングさせた「里山公園」、もっと多様な農業的空間をふくめるなら「田園公園」の実現を行政側に期待したい。
「かつての田園」を復活させるために、本多勝一氏(注2)の提唱した農薬などに汚染されない「田園の聖域」も、田園公園の一つと言ってもよいであろう。ただし、信州伊那谷を念頭に置いているから、大都市圏での実現はかなり限定されよう。ここではもちろん、里人と都市住民との連携が前提となってくる。
もう一つの課題として重要となるのは、保全された里山の管理の担い手と、適正な管理手法の確立である。管理はボランティアに委ねるのがもっとも望ましいと思う。生態的管理には、恒常的な観察と記録に基づいて、管理のアセス(自己点検)をおこない、それに基づいて管理の軌道修正を検討する必要が生じるからである。また、生態的管理には、集約的管理から管理ゼロをふくむ粗放的管理まで、いくつもの段階があるし、管理の適期もある。したがって、それぞれの里山公園ごとに、その生態的保全と公園利用の両面からのマスタープランをもつ必要がある。薪炭材を目的とする伝統的管理手法を踏襲して、かつての雑木林の形態を残すことも大事だが、里山にかくれている様々の魅力を抽き出す多様な管理手法の開発が求められよう。
里山運動の一環として、ボランティアによる里山管理は漸く緒についたばかりであり、里山の容易な管理に対して懸念する声もある。そのような様々の声に謙虚に耳を傾けて、試行錯誤を重ねていかなければならないと思う。

 

注1)村尾行一(1982)「里山間題」の所在とその打開方向、農村計画学会誌、1(2)。
注2)本多勝一(1991)「田園の聖域」の提唱、(貧困なる精神、169)。朝日ジャーナル、8月9日号。

 

 

 

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